諸行無常の理(しょぎょうむじょうのことわり)

どうも 甲本です。

「人間は変化を求める生き物」

です。


例えば

毎日毎日、家と職場の往復で
何の変化も刺激もない・・・。

そんな生活に嫌気が差し
一念発起して起業!
というのはよく聞く話ですよね。

まぁ、起業だったらいいんですが、
自殺という道を選んでしまう人もいますから
恐ろしいものです。

「退屈」というのは人を死に追いやるほどの
動機になりうるという事ですね。


また、先日行った「調和と循環」のセミナーでも
解説しましたが、

流れ続ける事が調和を生みます。


例えば、

地球と月と太陽。

これらは絶妙なバランスの中で
調和しています。

だからこそ、地球には生物が存在しているし、
我々人類もここまでの発展を遂げられました。

ただ、その調和を維持するためには
月が地球の周りを回っていなければいけないし、
地球は太陽の周りを回っていなければいけません。

さらには、地球自身も自転している必要があります。


もし仮にいずれかの天体が静止したなら・・・

絶妙なバランスで保たれていた調和はあっという間に崩れ、
全てが崩壊へと向かっていきます。


簡単な例をあげましょう。

僕らは地球の上に住んでいますよね?

地球の外周は約4万kmあります。

これが24時間で1回転しているわけですから、
計算すると時速1667kmくらいの
猛スピードで回っている事になります。

当然、地球の上に住んでいる僕らも
同じ速度で動いているって事です。


じゃあ、もし地球がある日突然
何の前触れもなくピタッと止まったら・・・?

電車に乗っていて、
急ブレーキを踏まれたら前につんのめりますよね?

慣性の法則ってやつです。

同じことが地球規模で起きます。

地表にある全てのものは重力の何十倍もの力で
東側に吹き飛ばされ、山々は崩れ去り、
大量の海水が陸地の全てを根こそぎ洗い流し・・・

そうなったらもう完全に地球は滅亡ですね。

そう考えると今日も地球や月や太陽が
これまで通り回り続けてくれていることに
感謝感謝です。

我々は1人の例外もなく
大きな存在によって生かされているってことですから。


また、そんな大それた例を出さずとも
僕らの日常生活の中でも
あらゆる所で「調和と循環」が成り立っています。

例えば、良い姿勢を維持することを
考えてみてください。

背筋がシャキッと伸びた姿勢が
良い姿勢と言われますよね。

重力に対して最も抵抗が少ないので
パフォーマンスも最大化します。

では、その良い姿勢を作った上で
1時間静止しろと言われたらどうでしょうか?

指一本動かすなと。


・・・無理ですよね(笑)


どんなに良い姿勢であろうと
静止したままでは保てないということが
体感できると思います。

つまり、良い姿勢というのは
絶え間なく変化し続ける状態の中にあるということです。


この宇宙では

変化し続けるものが自然で、
変化しないものは不自然。

循環し調和しているものは安定し、
調和の崩れているものは崩壊する。

そういう風にできています。


そして、これを仏教では

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」

と言います。


<諸行無常>
この世の現実存在はすべて、すがたも本質も
常に流動変化するものであり、
一瞬といえども存在は同一性を
保持することができないことをいう。
(Wikipediaから抜粋)


川は水が流れ続けるからこそ
いつまでも綺麗な状態でいられます。

水の流れが止まれば
たちまち濁り腐っていきますよね。


人生も同じです。

常に世界は変化し続けていますし、
人間自身も変化を求めています。


しかしながら、人間は変化を求めているくせに

“急激な変化には反発する生き物”

です。

それが例え良い変化であっても
悪い変化であっても。

仮に親しい人からであっても突然

「すごくいい投資の話があるんだ」

と言われたらちょっと身構えますよね(笑)

潜在意識レベルで人間は
急に現実が変わることを恐れるんです。


だから、頭のいい人たちは
徐々に変えることを知っています。

税金にしてもいきなり上げたら反発を食らうので
少しずつ段階をおってあげてるでしょ?(笑)


何か習慣を身につけたい場合でもそうです。

少しずつ少しずつ。

じわじわ行動を変えていけば
いつの間にかそれが当たり前になります。

徐々に変わるものに対しては
人間は適応する生き物なんですね。


そして、

習慣を変えることは人生を変えることに等しい

と僕は思っています。


いや、正確には

Frame(フレーム)

という概念で僕はそれを定義していますが、
これが本当に重要。


その人の個性も、人生も、付き合う人も、
成功するか失敗するかも
全てFrameが決めています。


今お金持ちの人にはお金持ちになるFrameがあり、
貧乏な人には貧乏になるFrameがある。

ダイエットに成功した人には痩せるFrameがあり、
太っている人には太るFrameがある。

モテる人には魅力を伝えるFrameがあり、
嫌われる人には嫌われるFrameがある。


この「Frame」については
次回の記事でもっと詳細に解説したいと思います。

お楽しみに!


ではでは

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!


甲本



まとめ
今回の記事の内容をエッセンスだけまとめときます。

・宇宙は調和と循環で成り立っている。
・変化し続ける状態が自然であり、静止した状態は不自然。
・人は変化を求めるが、急激な変化には反発する。
・成功する人には成功するFrameがある。

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2 件のコメント

  • 万物が諸行無常であることは否定しませんが、仏教においては、「なぜ諸行無常が起きるのか?」あるいは「諸行無常を引き起こしているものは何か?」について、答えないかあるいは答えがないということになります。

    変化するもののいわば法則について問題提起しているのではありません。変化を引き起こす究極の原因を考察すべきなのではないでしょうか?究極の原因を封印して、諸行無常に全ての原因を求めているところに仏教の宗教的限界があるように思えます。

    批判や説明があれば、回答いただけるとありがたいと思います。

    • > gladstoneさん

      甲本です。コメントありがとうございます。

      諸行無常を引き起こす原因を理論物理学に求めてみると、人間が観測できる素粒子は確率論的でしかないから、という事になるんだと思います。

      この世界を構成している素粒子が、ある時間にどこに存在しているのかを完璧に知ることはできず、確率的にしかわからないということであれば、変化しないものはない(諸行無常)としか言いようがありませんからね。

      ただ、個人的には「諸行無常を引き起こしているものは何か?」という問いに対して、あまり興味はありません。

      仮に「諸行無常を引き起こしているものは●●だ!」という答えが出たとしても、「じゃあ、その●●を引き起こしているものは何だ?」という問いが生まれてしまい、それに「●●を引き起こしているものは△△だ!」と答えても、「じゃあ、その△△を引き起こしているものは何だ?」という問いがまた生まれ、この構造は無限に続くからです。

      基本的に僕は“自分の人生に活かせるかどうか”という視点で物事を見ていますので、役に立つのであればその先の理屈はどうだってよかったりします。

      携帯電話がどういう仕組みで動いているのかは知らずとも、それが使いこなせて人生が豊かになるならいいという感じですね。

      もちろん、究極の真理というものに興味が無いわけではありませんが、それが人間の五感で理解できるものとは限りませんし、仮に理解できても他者と共有できるものかどうかもわかりませんからね。

      と、長々とコメントを返しましたが、こういう質問をして頂けるのはありがたいことですし、今後とも当ブログをご愛読いただければと思います。

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